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    内ヶ磯窯跡

    うちがそかまあと

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    さあ出かけよう!

    基本情報

    分野
    考古資料・遺跡
    所在地
    福岡県直方市大字頓野(内ヶ磯窯跡)
    校区
    上頓野小
    時代
    江戸時代
    性格
    窯跡
    遺構
    窯跡、物原、土坑
    遺物
    高取焼(茶椀、茶入、皿、擂鉢、窯道具等)
    現況
    福智山ダム
    その他
    遺跡は見学できません

    これナニ?

    現在の福智山ダムの南側ダム底に眠っていて、1614年、高取焼第2の窯として作られました。全長46.5mと宅間窯の約3倍の大きさで、14段の階段状の部屋を持つ大きな窯になります。窯は例えて言うと、イモムシのような形をしていたとみられます。内ヶ磯窯は、窯を全面的に発掘調査した全国的に見ても珍しいもので、直方が日本に誇る文化財です。

    ここがツボ!

    内ヶ磯窯は、御用窯といい、福岡藩が藩を挙げて経営していた窯で、当時、最高の技術で作られた茶器が藩へ献上されていました。窯の形は、各焼成室の上に半円の天井をもち、それが連結された階段状連房式登窯で、茶器や日用雑器を焼いていました。内ヶ磯窯からは織部好みといわれる、茶碗などをひずませた形のものが出土しています。茶入れに関しては、中国(唐物)のものを精巧に真似することを目指して、特別丁寧に作られていました。
    宅間窯跡、内ヶ磯窯跡の発掘調査は学術上も極めて重要であり、焼物研究の世界に大きな変化をもたらしました。従来は萩焼と考えられていた透かし彫の鉢が内ヶ磯産とわかるなど、焼物史に残る発掘調査となりました。この他にも、佐賀県の唐津焼、岡山県の備前焼、愛知県の瀬戸焼など各地の焼物の影響を受けながら独自に発展をしていきました。1630年頃には、飯塚市の白旗山窯へ生産の場は移ります。直方市で高取焼が製作されていた期間は短かったのですが、その後の高取焼へ与えた影響は、はかり知れないものでした。

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