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    永満寺宅間窯跡市指定

    えいまんじたくまかまあと

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    基本情報

    分野
    考古資料・遺跡
    指定
    市指定文化財
    指定年
    1988年3月15日
    区分(1)
    記念物
    区分(2)
    史跡
    所在地
    福岡県直方市永満寺(永満寺宅間窯跡)
    校区
    福地小
    時代
    江戸時代
    性格
    窯跡
    遺構
    窯跡、土坑
    遺物
    高取焼(椀、水指、皿、擂鉢、窯道具等)
    現況
    山地
    その他
    遺跡は埋め戻されています

    これナニ?

    1600年代の初め頃、朝鮮人陶工 八山(高取八蔵)により開かれた、高取焼最初の窯です。窯は全長16.6mと小振りで、まだ朝鮮半島の影響が強い作風ですが、伝統ある高取焼の第一歩を踏み出した窯として非常に重要な窯跡なのです。

    ここがツボ!

    宅間窯跡は、「やきもの戦争」と呼ばれる文禄・慶長の役の際、来日した陶工八山によって開かれました。窯の形は、竹を半分に割ったような天井を持つ割竹型登窯で、全長16.6m、6室の焼成室を持ちます。茶器も生産していますが、その中心は擂鉢や瓶、皿などの日用雑器でした。作風は、素朴であり、厚く、重たい印象を受けます。高取焼は、1614年に第二の窯である内ヶ磯窯に移ります。内ヶ磯窯は全長46.5mと大きく、本格的な窯へと変化します。宅間窯跡は、鷹取の地で焼物が焼けるかどうかを試した試験的な窯であったと考えられます。宅間の地で成功をおさめた八山などは大規模な窯の構築が可能であった内ヶ磯の地へと移って行きました。
    宅間窯跡は、内ヶ磯窯が成立する1614年までの間、高取焼発展のための礎となったのです。

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