直方市の文化財

鷹取城

たかとりじょう

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基本情報

分野
考古資料・遺跡
所在地
福岡県直方市大字頓野、永満寺(鷹取城)
校区
上頓野小
時代
平安時代~江戸時代
性格
山城
遺構
石垣、城門、櫓跡等の礎石列等
遺物
高取焼、鬼瓦、染付、永楽通寶等
現況
礎石や石垣等見学可能

これナニ?

標高630mの鷹取山頂にあったお城で、関ヶ原の合戦後、黒田節で有名な母里太兵衛が城主となりました。現在山頂で見ることのできる石垣等は、江戸時代に入り大修築されたものです。元和元年(1615年)に一国一城令により、使われなくなりました。

ここがツボ!

古くは平安時代の永正元年(1046年)、長谷川兵部卿吉武が築城したと伝えられています。戦国時代には毛利鎮実が在城していましたが、大友宗麟に攻められ落城します。江戸期には、筑前六端城の一つとして整備され、敵対していた細川氏が藩主であった豊前側の守り(監視)を強く意識した作りとなりました。4箇所ある城門は、すべてL字に屈曲しており、城内に侵入するためには何度も曲がらなければなりません。石垣も屈曲部が多く、敵兵を狙撃しやすい作りになっています。
鷹取城からは、黒田家の家紋の一つである橘をかたどった鬼瓦が出土しています。六端城がおかれ、その後、城下町がおかれた直方市は、戦略的に極めて重要な場所であったに違いありません。

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