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    「筑豊炭田遺跡群」 国指定史跡に! 第2回

    2018年08月07日更新

    「直方市バーチャルミュージアム」では、官報告示にむけて、しばらくの間、国史跡指定の答申を得た筑豊炭田遺跡群のひとつ「旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所及び救護練習所模擬坑道」の歴史的意義と、その魅力について、みなさまに少しずつご紹介しています。

    第2回『筑豊石炭鉱業組合直方会議所の重要性』
    直方会議所(現石炭記念館本館)は、明治末期から昭和初期にかけて、全国が注目した筑豊石炭鉱業組合の意思決定にかかわる多くの会議が行われた場所として重要な位置を占めています。明治43年(1910)9月から、昭和9年(1934)4月までの間に、この場所で、総会は計28回開かれています。また、組合執行部の議決が行われた常議員会は、直方会議所完成後の229回の定例常議員会のうち、125回が直方会議所で開催されています。また、同じく完成後の95回の臨時常議員会のうち、40回が直方会議所で開催されていて、合計165回の常議員会が行われました。

    この場所で討議された議題は、石炭運輸問題、鉱山保安問題、鉱業法制問題、鉱夫労役取締規則の改正問題など多岐にわたりますが、特に、前回も触れた大正期の採炭制限による炭価調整は、後に全国組織の石炭鉱業連合会によって広がり、日本の近代経済史上でも特筆されます。なお、石炭鉱業連合会の初代会長は、筑豊石炭鉱業組合の総長を経験した麻生太吉が務めました。

    総会や常議員会以外にも、水運部評議員会、筑豊鉱山学校評議員会などが直方会議所で開かれており、若松の組合本部事務所、九州鉄道などと共同出資で運営された門司倶楽部とともに、筑豊石炭鉱業組合の進むべき道を決めるための協議が行われた建物です。組合本部事務所及び門司倶楽部はいずれも現存しておらず、当直方会議所はこれらの中で現存する唯一の建物として、きわめて貴重なものです。

    若松の組合本部事務所と門司倶楽部は社交クラブとしての機能も備えていました。これに対し、直方会議所は当初純粋に会議施設として設けられたものです。それとともに建造当初から炭坑事故に備える救命器の保管庫を設けており、明治45年以降、順次模擬坑道とその周辺設備が拡充され、救護練習施設やその事務所としての色彩を強めていきました。直方会議所は、昭和9年(1934)、筑豊石炭鉱業会発足後も会議所として用いられましたが、その回数は次第に減少し、むしろ救護練習所における講座室や事務室としての利用が優先されるようになったものとみられます。

    明治43年に建てられた当初の筑豊石炭鉱業組合直方会議所(現石炭記念館本館)

     

    旧筑豊石炭鉱業組合直方会議所(現石炭記念館本館)明治43年建造当初のころ(九州歴史資料館提供)

     

    筑豊石炭鉱業組合直方会議所前に集う関係者12人

    筑豊石炭鉱業組合直方会議所前に集う常議員たち 伊藤伝右衛門の顔もみえる。(九州歴史資料館提供)

     

    筑豊石炭鉱業組合本部事務所 両サイドに塔のある近代洋風建築

    若松にあった筑豊石炭鉱業組合本部事務所(筑豊石炭鉱業組合月報より)

     

    門司倶楽部 二階建ての近代洋風建築

    門司倶楽部(福岡県史・近代資料編筑豊石炭鉱業組合⑴より)

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